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年金に関する不祥事が連日報道されて、事ここに極まれりという感がします。
この際、すべての膿を出し切って再生への道を再度模索しようというのが、その当事者の
反省のコメントです。
しかし、冷静にいろいろ考えてみると、何かおかしくはありませんか?
何がどうおかしいかがうまく表現できないのですが、何か根本的な部分で、間尺にもともと
あっていない事をあれこれ論議しているような気がしています。
年金は、支払った年金保険料より受け取れる保険料が寿命によってもばらつきはあり
ますが、利子を含めた分よりもはるかに多い金額となる事が当初から啓蒙されています。
それは、高齢者を若年者が支え、その若年者が高齢になればその時点の若年者が
また支えるという順繰りになっているから、運営上支障を来たすことはないという理屈
なのですが、これには何かまやかしのようなものが含まれていないでしょうか。
日本は自由主義国家であり共産主義ではありませんから、国家による富の再配分も
ある程度限界があります。ただし、憲法にうたわれているように、日本国民は、基本的人権が
守られ、最低限の生活は国が保障することになっていますから、多少社会主義的な
手法がとられるのは、自由主義の弱点を補う意味ではしかるべきとは思いますが、
年金の考え方は、そのようなものに由来しているのか、それとも自由主義とは直接関連は
ありませんが、年長者を敬うという儒教的な発想に由来しているのか、そこが理解でき
にくいところです。
本当のところはどうなんでしょうか。この制度をつくり、永く安定的に運用をしていこうと
判断した人の真意はどこにあったのでしょうか。今日、だんだん表に出てきたその当時
以降の歴史の証言は、どちらかといえば軸足は富の再配分に名を借りた国の預かり金
のような性格ではなかったのではないでしょうか。
結果として国民の生活の向上になるのであれば、徴収の大儀は、税金であっても年金で
あっても構わない、結果を出せば国民は文句は言えないとたかをくくっていたのでは
ないでしょうか。
この部分の疑念が晴らせないと、昔の人に比べ若い人はより分かりにくいでしす、これを
強制的に消費税アップでまかなうとなると、最初の失敗を改めるどころか、最後に収集が
つかないところまでいってしまう危険がかなりあります。
これは自由主義と資本主義を守る上での大きなリスク管理の側面をもっており、
単に選挙目当てで行う政策とは本質を異にしていると思います。
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