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お金が命の次に大事といったホリエモンも、命よりも大事なものと答えた某経営者も
お金に振り回されることの悲哀さを、今、充分すぎるほど味わっていることでしょう。
人にとって、また人の歴史にとって、お金がなしえた功罪は、恰好の小説の題材になるほど
この現世で生きることの難しさを代弁しています。
お金の価値には二つの側面があります。入ってくる時の価値と出て行く時の価値です。
私たちの生活は、物々交換から貨幣経済に移行したときから、あらゆるものを貨幣に
換算してその意義を問うような習慣を身につけはじめました。
10億円の豪邸をもっているとか、5億円のクルーザーを所有しているとか、常に物には
お金に換算していくらという修飾語がついて回ります。いわゆる汗水たらしてお金を稼ぐ
ことは当然尊い行為だと思いますし、それをどのように使おうが他者が干渉することでは
ないとも思います。
以前テレビで「福沢諭吉が泣いている」というようなドラマがあり、お金は大事に扱いその
お金が喜ぶような使い方をしなければならない、そんな内容でした。
お金そのものに価値があるのではなく、お金をどのように使うかの使い手によって、
そのお金の価値が決められるのではないでしょうか。
経済的な収入を基準にして、勝ち組とか負け組とかの分け方をする報道もありますが、
このような陳腐で人間として稚拙な考え方が横行する背景を考えますと、お金の価値を
曲解している人間があまりにも多すぎるということでしょうか。
お金はその人の評価をする物差しではありえません。強いて言えば、お金を使うときに
その人の本質のようなものが見え隠れすることはありますが。
墓場までお金はもっていくことが出来ませんし、お金そのものが人を幸福にすることも
ありません。
人間としてのそれぞれの使命を果たす際に生じる必要なお金さえあれば、それ以上でも
それ以下でもないのがお金の本来の姿ではないでしょうか。
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